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東スポ大賞「期待賞」

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件の授賞式へ行ってきた。

来賓の方々の豪華さは相当なもので、主賓であるビートたけし御大から始まり、敬称略でいくが、笑福亭鶴瓶、所ジョージ、三浦友和、宮沢りえ、亀田兄弟、果ては長嶋茂雄である。
で、末席に私。

「コネ授賞」と言われてもおり、ハッキリ言って肩身は狭かった。
同じく受賞者の、オードリーや、U字工事のような存在が既に証明されている芸人と私は違う。
もう一度言おう、肩身は狭かった。


と、気持ちの置き場が定まらないまま式は順調に進行していった。

こういう場合気負って「かましてやれ」とやって良いことなどない。私は武器であるネタ以外何一つ用意しないでおくことにして、式をボンヤリと眺めた。そして表向きは人のスピーチにリアクションをとって笑ったりして不安定な気持ちを誤魔化した。


しかし、それにしても何故自分は肩身が狭いのだろう…

自分のプレッシャーなど浅田真央のプレッシャーに比べれば鼻くそのようなものではないか。彼女など期待は期待でも“国民の期待”を一身に背負わされたわけである。そして立派に滑った。


「すべる」


何と比べているのだ。
私の場合すべってしまっては全くお話にならない。おかしなことになった。



いつの間にか特別作品賞「上島ジェーン」のダチョウ倶楽部が登壇し、“おでんムーヴ”の段取りに入っている。

お三方は楽屋で、特にジモン氏は熱心におでんコントの段取りをスタッフらに指導しつつ確認していた。曰わく…

「湯気を出すにはコント開始3分前の再加熱!」

「俺らは二十年おでんコントをやっている、おでんコントは準備が命だ!」

「ミスターや、殿の前で粗相があってはいけない、お前ら緊張して鍋を落したりなんかするなよ!」

そう言って勢い勇んでいたジモン氏が本番で鍋をひっくり返した。

慌てるジモン氏。
思わず“熱いはずのおでん”を手づかみ、勢いそのまま上島竜平の顔に押し当てた。
竜平氏、律儀に「あっつい!」だって。


これで気が楽になった。
考えてみれば、天下のビートたけしの推挙での受賞。コネだ、ねじ込みだ、言いたきゃ言えである。
目の前でダチョウさんらの「失点にならない失敗」を見ていたら、急にそんな気分になれた。「肩身が狭い」の謎が解けた気分だ。

ビートたけしの「期待賞」は「“自分に期待するな”賞」でもあるのだ。どっちに転んでも負けはない。格好つけて取り繕ったところで、周りは皆達人ばかりじゃないか。

今目の前にいるビートたけしは、その昔「人生に期待なんかするな」と言った。
このリアリズムに惚れて芸人になったのを私は思い出した。裏側にあるメッセージは「お前は何者だ」である。


ネタを演る。

壇上からはよく景色が見えた。
ダチョウさん、U字工事、オードリーが笑ってる、所さんが爆笑してる、三浦友和がうつむいて肩を揺らしている、西川美和監督と鶴瓶師匠も爆笑、宮沢りえまでも笑っている。恐る恐るミスターを見ると…

笑顔であった。

そして最後に袖から聞こえた「くだらねー」の声。



ちなみに、皆笑っているなか亀田兄弟だけは全く笑っていなかった。

彼らはやはりレベルが高い。
ボクシングとT-BOLANしか見せてこられないとああなるのかと思った。
喩えば、どこそこのラーメンがうまい、あれはロックでこれはロックじゃない、M1は手数の時代だとか、レベルが低いというのだ。それは凡人の戯れ言。
亀田兄弟は生き物として、つまりエンターテイメント人格としてやはりレベルが高いということがよーくわかった。
私はビートたけしと長嶋茂雄を笑わした男として、危うく「ゴール」してしまうところだった。

私がいただいたのは「期待賞」、つまりこれでようやくスタートラインに立ったようなものである。


業界の方々注目です。


私が“あの”マキタスポーツです。



これから亀田兄弟に笑っていただくよう頑張りますのでよろしくお願いします。

子役の壁

今現在、日本人がもっとも「アイドル」視している存在が浅田真央である。

世間が「アイドル」にこめる想い、それは「幼児性」。事実はどうでもいいが、浅田真央が搭載してしまっている「処女性」は、日本人が古来より好物としている“質感”だ。
それを日本人全体で彼女を生け贄として背負わせている。

子供でなければ大人でもないいたいけで無垢な存在、そんなボーダーラインに立たされている「揺れる存在感」を我々は愛でる。かつての「アイドル」にそれを求めなくなった今、彼女はその思想を一身に引き受けてオリンピックという「世界基準」の舞台に立った。キワモノとして。

まるで「アニー」の子役が脱皮を図るために月9主演したみたいだ。

今オリンピック後、頑張り過ぎて安達祐実的な“脱皮”は止めていただきたい。
あるいは、歌舞伎役者と噂になったり。やめてほしい。
“真央”は小林より浅田に限る、のだし。

芸人は、いと「おかし」

「余分なもの」というジャンルにまつわる「危機感」について考えた。

いつ時勢の犠牲になり、縮小されてもおかしくない部門、そんな「危機感」が止まらない“努力”と“試行錯誤”を生む。

お菓子業界の「焦り」は相当なものだ。それ故招くお菓子業界の頑張りに比べれば、私の頑張りなどまだまだである。

お笑いもまた然りである。

例えば「ルマンド」のあのちょいとしたラグジュアリー感はなんだ。お菓子なのに。
安価で当たり前な「お菓子なのに」というフリに対して、ならばとあの高級感とヨーロピアン感とを盛り込むセンス。その「解答力」に脱帽するのである。

ロッテの雪見大福の、あのセンセーショナルなデビュー、そしてその後の安定感。一体どれほど考えたというのだろう、嫌われないために…

他にも、好みはあれど、食感、喉ごし、歯触り、清涼感、懐かしさ、本物志向、果ては、おまけや、パッケージのデザイン、仕掛け過多な面白ギミックなどなど。各メーカー、お菓子業界、必死だ。


概念としての「女子供」にどれだけ奉仕するのだお菓子業界。
これはもはや「媚び」を科学していると言っても言い過ぎじゃない程の所行ではないか。

事業仕分けだのリストラだの、巷間かまびすしいが。人間は誰しも「無駄」よって生かされている。そのことからは逃れられない。つまり人間から「無駄」を切り離すことは出来ないのである。そこにある人間の「寂しさ」に「お菓子」達は入りこむ。

つまりお菓子もお笑いも音楽も同じ。
よって芸人はお菓子なのである。

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